最近、よく生成AIを使って仕事をしています。
コードの質はグッと上がり、今までの自分の限界を悠々と超え、スキルの幅がとてつもなく広がりました。
そんなある日です。夜10時くらいまで仕事をしていたとき、ふと思いました。

私は楽しようとして生成AIを使ってるのに、なんでこんな夜中遅くまで仕事をしていんだろうか。
特にここ数か月間は「私は一体何をやってるんだ?」という考えが頭をよぎり続けました。
そこで今日は、AIの恩恵だけでなく「本当に楽になっているか」を考察し、自分なりの意見をマイルストーンとしておいておこうと思います。

神守 由理子/フロントエンドエンジニア
便利になった分忙しくなってない?そりゃ、みな生成AIを使う。一様にクオリティが上がるので当然の結果
自分のやれることの幅は増えたということは、周りも同じ。みんな一様にクオリティが上がりますよね?
悲しいかな、この世界は競争社会です。
この資本主義での競争に負けないようにしなければ生き残れません。
やれることは増えたけど結局忙しくなり、正直、楽になったとは言えないなぁ、と。
そもそも人類の歴史を振り返る。文明の進化で私たちは本当に「楽」になったの?
みなさん、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリさんの「サピエンス全史」を読んだことはありますか?
この本は、有史以前からサピエンス(人類)の現在までの歴史が壮大に綴られています。
人類は狩りから農耕に切り替え、一見文明が発達して 便利になった ように思えます。
しかし、実際は狩りで生計を立てている頃と比べ労働時間が増えました。単一の食べ物(麦)ばかりを口にするようになり栄養バランスも偏るだけでなく、農業の重労働によるヘルニアなどの病気の痕跡も残っています。
総合的には、狩猟をしていたときのほうが 労働時間も短く食生活も豊か だったのです。
人類は「結局、麦の奴隷になった」と、ハラリさんは言及していました。
実感がわかないので近代、身近な話もします。
私が生まれてから現在に至るまで、50年も満たない間でも世界は目覚ましく進化してきました。
図書館に行かなくても、インターネットさえれば瞬時に欲しい情報を入手できるようになりました。
江戸時代や中世に人が一生かけて手に入れた情報をたった一瞬で手に入れられるんです。
ぶっちゃけ、ハガキよりも小さいサイズの液晶画面付きの電話(スマートフォン)が、私が生きている間に登場すると思わなかったです。
もし子供の頃の私が知っていたら、すでにこの現代は漫画で見たようなSFのような世界と驚くでしょう。

ところがみなさん、こんなに便利になった世の中で未だに長い時間働いています。
むしろ労働時間が長くなり、日本などでは賃金すら下がっています。
不思議に思いませんか?
生産性は上がったにも関わらず、労働時間が増えてませんか?
そして、なぜ誰も疑問に思わないのか?
ふと、私は疑問に思わずにいられませんでした。
「幸せを追求すること」私のセブにいる理由を改めて考える
私がセブにいる理由はいくつかあります。そのうちの一つは「幸せを追求すること」です。
フィリピンにいると日本のように欲しいものがすぐに手に入りません。大きなモールやスーパーでさえ品切れだらけです。
最初はそんなセブの生活にイライラしていました。
でも生活しているうちに気づくんです。「もの」ってなくても以外と生きていけるんですよね。次第に物欲も減りました。
更に私の人生の価値観をロックダウン、パンデミックが変えました。

写真提供:DAREDEMO HERO
パンデミック初期、コロナは未知の病気でした。医療費に点数制度のないフィリピンでは治療に100万ペソ?以上かかかったという人の話も聞きました。
それだけじゃありません。病気にかからずとも外で働けなくなりました。いわゆる、ロックダウンです。せっかく無理して家族でお金を出し合って子どもを大学まで行かせても、中流階級の人たちは貯金もない。食うに困る人も続出しました。
日本じゃ到底できない体験でしょう。
理不尽を目の当たりにし、「幸せってなんだろうか?」って考えるようになりました。
そして最近、AIを使って遅くまで仕事して、本当に楽になったと言えるのか。この状況は、本当に私にとって幸せなんだろうか?
いや、到底思えませんでした。
お金や数字の奴隷になってないか?
私は「幸せの追求」するうえで、心に決めていることが一つあります。お金や数字の奴隷にならない ことです。
お金や数字の奴隷になり、際限なく働いてませんか?
正直に言うと、日本にはそういう人があまりにも多い。かつての私もそうでした。
とある組織にいたころの話です。上司が営業社員を恫喝する光景を見るのが月末の恒例行事でした。
売上目標を達成すること =(イコール) 上司の成績
売上目標未達 =(イコール) 部下の責任
部下は延々と人前で怒鳴られる。今考えるとなんとも馬鹿らしいし、パワハラで訴えられますね。
売上が上がれば会社の利益になり、自分たちに分配される。そうであれば100歩譲って分かりますが、上司の成績のためだけにやっているのであれば ただの奴隷 です。
お金だってそうです。
欲しいものと必要なものは違う。本当に必要なものだけ買っていれば、そこまでお金は使わないものです。
私はセブに住むようになって不思議なくらい物欲が減りました。
だからこそ不思議なのです。
いくら稼いでも満足しない人がいることが。
たまに取り憑かれたようにお金を稼ぐことに執着している人がいます。私はそういう人を「お金の奴隷」と呼んでいます。
どんな人間にも死が訪れるし、火葬場で灰になるか、腐って土に還るか。
そうなってしまえば 我々は単なる炭素化合物になるだけ です。そうなっても、お金に執着しますか?

もちろん、現代社会で生きるうえでお金は大事 です。最低限必要なだけは稼がなければなりませんが、お金の奴隷になってはいけません。
そもそも、貨幣制度は利便性を良くするために我々が発明した ものですよ。自分たちの生み出したものの奴隷になってどうするんですか?
未だにハードワーカーがかっこいいと思われる風潮
日本では、未だ遅くまで働く、土日も働くハードワーカーがかっこいいと思われる風潮があります。
まるで神話のように信じられています。
フィリピン人を見ているとみな、家族や友人との時間を大切にします。締切が合ってもそちらを優先することもあります。
それでいいんですよ。人生は仕事だけじゃないんですから。
私は社会人経験で、自ら犠牲になるくらいハードに働く社員を評価したり祭り立てる経営層、管理職を山のように見てきました。
それはただの教育、社内キャンペーンだと私は感じています。そういう風土を作った方が会社にとって都合が良いだけ。
考えてみてください。逆に会社があなたの犠牲になることはないでしょう?
フィリピンではそんなことも気づかせてくれました。
ときおり、立ち止まって考える
確かに、生成AIを使い始めて便利になりました。だからといって、全然仕事が楽になったというか、仕事量が減ったわけではなかったです。
そもそも生成AIが問題ではなく、根底にどんな心理があるかが問題と考察します。
- お金や数字の奴隷になれば、無限に働き続ける
- ハードワーカー神話を信じ、無限に働き続ける
これではいつまでたっても楽にはなりませんよね。
そして忙しさにかまけていると、自分の信条を見失いそうになります。
だからこそ、ときおり手を止め、立ち止まって考えてみます。
私がセブにいる理由の一つは「幸せを追求する」ことです。
そして私の幸せとは、私と私の周りの人が楽しく生きていけること。生成AIを引き合いに出しましたが、世の中は便利になっているけど、結局仕事量が増えて、あまり幸せになれてなかったという話でした。
自分を戒めるために書きましたが、この記事がみなさんのライフワークバランスを見直すきっかけになると幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。