【この記事はセンシティブだったため一度は公開を取りやめましたが、通常公開に変更しました】
みなさん、人生で困難に直面したり岐路に立たされたことはありますか?
人間関係が辛い、もう仕事ができないなど、人は限界に達することはあります。
私にも人生で最大の困難に見舞われ、人生を変えようと思ったきっかけがあります。
そこからどのように学び、考えを変えたかなどをド直球に綴(つづ)ります。
セブに住む小さな会社を営む小さな人間の経験ですが、みなさんの一助となれば幸いです。
人生を変えたい。環境が辛い、今の自分が認められない人へ捧げたい記事
この記事を書こうと思った理由です。
理由は何かしら組織に属すのが正義で、一歩踏み出せない人が多いから、です。
ちなみにそんな人たちに建前とかなしで本心を聞きたいです。
幸せに生きている自信はありますか?
あなたは周りの大切な人たちから「一緒にいて良かった」って思ってもらえる自信はありますか?
人は絶対に変われます。
もし変われないなら「変われないと思い込んでいる自分」がいるだけです。
なぜそう言い切れるか。ぜひ、続きをお読みください。
10年前にキャリアチェンジ。これまでの人生で最大の岐路に立たされた
私の人生の転機は今までメイキャッパー・ネイリストとしてキャリアを築いてきました。 賞も取り、この先の人生は順風満帆と確信していましたが、子共の持病で諦めたりしました。
最終的には仕方なく、Web業界へ転身しエンジニアになりました。
30代前半でした。
相当な覚悟をしたでしょう?
よく言われますがそんなことまったくありません。
この選択にいたるまでにそれ以上の衝撃があったからです。
努力しても逃げられないことに遭遇
私は昔からプライドが高く性格的にも勝気。負けたくない、変わりたいと思ったら努力でカバーできる。そう信じて生きてました。
そんな私にもどうしても状況を変えられない事態に陥りました。
10年以上前のことですが、ストーカー被害に遭いました。
いまだにトラウマでフラッシュバックするので、記事化することはもちろん、相当親しくないと周りに伝えることも控えてました。
具体的にどういった被害だったかというと、、、、
電話番号を変えても電話がかかってきたり、努めている会社に嫌がらせのファックスが来たり、家の前にゴミが撒き散らかされたり。
無限の嫌がらせが続きます。
思い出すだけで吐き気がするので記事化できませんが、もっとエグいこともありました。
上司と一緒に警察にも行きました。
2010年代、当時でもストーカーは男女間の責任で、「実害(たとえば怪我など)が ないとどうしようもありません」と相手にしてもらえませんでした。
嫌がらせは長期化し、強気だった私でも精神がじわじわと蝕まれました。
生まれてはじめてパニック障害になりました。
パニック障害とは?
突然理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、吐き気、手足の震えといった発作を起こし、そのために生活に支障が出ている状態をパニック障害といいます。
外出するとまた嫌がらせをされるかもしれない。。。恐怖で冷汗が止まらなくなりました。そして帰宅後、息ができない苦しさでなんども床などに倒れ込みうずくまっていました。
これはパニック発作です。
今度はパニック発作が怖くなり、だんだん外出できなくなりました。
両親が相当心配し、母が神頼みしかないと思ったんでしょうね。どこからか入手した謎のお札を私に持たせました。
とても迷惑をかけ、心苦しかったのを覚えています。
追い打ち。ストーカー被害にあっている間に、親友が死に人生で最大の後悔をした
私には10代から仲の良い友だちがいました。
コンビニでお酒を買って地元広島の川辺や灯台の下でよく一緒に呑んだくれていました。
彼は頭の回転が早く、仲間内でリーダー的存在でした。
実は彼のおかげで若い頃フォトショップやイラストレーターの使い方も覚えました。
彼は当時優秀すぎたのか、彼は日本の会社組織の枠にハマりきれませんでした。
そして転職を繰り返し、とうとう定職に就けない状態までなりました。
うつ病です。彼はその後、何年もうつ病を患うことになります。
彼は「私が彼の理解者だ」とよく言ってました。私にとって彼が私を頼ってくれていることは、嬉しいことでした。彼の精神状態が多少悪くてもよく話をしていました。
ストーカー被害に遭うまでは。
ストーカー被害に遭うようになってからは、必死すぎて自分ことしか考えることができませんでした。いや、自分のことすら考えてなかったと思います。毎日ビクビクし、嫌がらせから逃げることばかり考えてました。
そんな時でした。
彼はいつの間にか自ら命を絶ってしまいました。
私は後悔はしない方なんです。が、この時ばかりは後悔しました。
「自分のことで頭がいっぱいで、親友のことを忘れていた」
なんて自己中。話聞くぐらいはできただろうに。
自分のことが情けなくて情けなくて悔しくて悔しくて。。。
それでも愚かな私は自宅に引きこもっていました。
「東日本大震災」3.11の衝撃で目が覚めた
ストーカー被害に遭い始め、すでに半年は経ってたと思います。翌年も私はまだパニック障害でした。
しばらく休職しつつ多少お給料をもらってました。回復の見込みもないので当時勤めていた会社も退職することにしました。
そ の頃の私は時間を消費するのが日課でした。そんなある日です。
安定剤を飲んで、いつものようにソファーに横たわってテレビをぼーっと見てました。
画面がパッと切り替わり、突然の津波の映像が目に飛び込んできました。
すべての放送が「東日本大震災」3.11が生中継に切り替わったのです。
あっという間に町も、人も、すべてが波に飲まれていく。あまりにも衝撃的で何が起きたかわかりませんでした。
数日経つとちょっとずつ理解が追いついていきます。
「生きたくても死んでしまう人もいる」
放心状態だった私の頭にポツポツと考えが浮かぶようになりました。
「なんてちっぽけなことでウジウジしていたんだろうか」
「雨風しのげる環境にいて命があるだけマシじゃないのか?」
私は震災被害者ではないのこれをきっかけに立ち直れたと堂々と言える立場ではないです。でも、明らかに 3.11 がきっかけで自分の悩みがアホらしくなりました。
東日本大震災は本当にたくさんの犠牲者を出しました。ニュースには上がりませんがいまだに二次被害もあるかと思います。
西日本に住む私には想像も及ばないぐらい大変だったと思います。
あれから10年以上経ちましたが、心からお悔やみ申し上げます。
人間は底まで沈んだら浮上する
さて、十分どん底。ここからは浮上するしかありません。
今までのキャリアはバッサリ捨てよう。そして選ぶな ら一択でIT関連 と決めました。
亡くなった親友は若い頃、家庭の経済的事情で学校に行くことができませんでした。それでもIT関連を学びたかった気持ちがあり、彼自身も独学で頑張っていました。
彼が生きていた頃、フォトショップとイラレを彼から少し教えてもらました。今でもめちゃくちゃ感謝しています!
私は生きてるんだから彼の分までやんなきゃね!もし私がIT人材になることができたら 彼の分まで夢も叶えられる じゃないですか^ ^。だから死にものぐるいで頑張りました。
その後の私は今までのパニック障害は「仮病だったの?」と思うくらい回復し、すぐに職業訓練校で受講可能なコースを探しました。お金はなかったので如何にお金をかけずに勉強する方法を模索しました。
この先どうやってエンジニアになったのかは割愛します。気になる方はこちらをお読みください。
岐路が私のマインドに影響。たくさんの学びを得た
生きたくないから死ぬ。
生きたくても死ぬ。
親友の自殺と東日本大震災は私の甘ったれた脳みそに衝撃を与えました。
命さえあればどうにかなるじゃん。
そんなことを考えるうちに、お金・地位に焦点が当たらなくなりました。
私の考えを大きく変え、多少の人の言うことには動じなくなりました。
睡眠時間なんざクソくらえ!あなたはなりたい自分になるために命がけで努力してますか?
人生変えたいと言っている人に聞きたい。
命がけで努力してますか?
たとえばプログラミングスクールに大金叩いて通ったけど、プログラマーになれなかった。よくある話です。
大抵の理由は私から言わせれば、甘ったれんな。
本当に甘ったれんな。
お金さえ払えばプログラマーになれると思っていることが間違いです。
絶対業界入りたかったので 、体に叩き込むためプログラミングしまくり、コードを書きまくりました。
私は天才肌ではないのでむしゃらに努力するしかなかったです。ぶっちゃけ睡眠時間を削って、辛かったです笑
とはいえ1徹したぐらいじゃ死にませんし、今日の努力が明日の糧になります。
ちなみに、この頃の話をいつぞや講師を務めた職業訓練校の生徒にしたところドン引きされました。
命さえあれば人生自分の力で変えられる。チャンスが作れるだけラッキーですよ。
覚悟して死ぬほど汗かいて習得するぐらいの気持ちじゃないと人生なんて変わりゃしませんよ。
手を動かす、脳みそがちぎれるくらい考える、何でもいいです。自分がやってきた努力だけは将来裏切らないです。
信念は曲げない。信念を曲げることは自分を裏切ること
会社や組織にいると理不尽な考えなどを押し付けられることがあります。
生活のため私も昔は無理していました。
でも人ってマインド次第で変わるんですよ。
ここ数年、たとえ偉い人の命令でも納得できないことは首を縦に振らなくなりました。自分に嘘つくのが嫌だからです。
そして命令を聞かなくても、たとえクビになってもあなたも私の人生は終わりません。
それよりも絶対にしてはいけないことは、生まれてから死ぬまで付き合う自分を裏切らないこと。
私、昔いた会社で本音をぽろっと出してしまったことがあります。
「会社は私に犠牲を強いるけど、会社は私の犠牲になる?」
偶然役員が聞いていて苦笑いしていました。それを見て答えがわかりました笑
長いものに巻かれろ的に同調圧力に押しつぶされて、自分を無理に納得させていませんか?
現状に納得するため「これでいいんだ」ってあれこれ理由をつけて自己暗示をかけてませんか?
たとえ今の会社を辞めても人生は終わりません。
そして、不自然なことばかりしていると心だけじゃなく表情に歪みが生まれます。40才ぐらいになるとどんな美男美女でも歪みが顔に染み付きます。
見たら一発でわかりますよ。
なので私はムリな作り笑顔をするぐらいならムスッとしとくことにしますw
すべての困難は学びのために起こる
昔は
「これさえなければ」
「こいつさえいなければ」
って、すぐ何かや誰かのせいにしていました。
気づいたんです。過去起こったことも他人も変えられないんです。神様じゃないんだから。
家族をはじめとするたくさんの人に心配させましたが、ストーカーにあって良かったと心から思います。
加害者が執拗な嫌がらせに走った理由の1つに、私の性格にも問題があったからと気づけたからです。
昔の私は今以上に高飛車で勝気。一生懸命伝えれば、他人を変えられると思い上がってました。
相手を変えようと自分の正しさを主張しすぎることは人を傷つけたり反感や怨みも買います。
みんな正しいし、みんな間違ってる。世の中に正解なんてありません。
誰かを変えようとか思うこと自体が間違い。あなた、何様ですか?ってことですよ。他人を正そうとする必要なんてなくて放っときゃいいんです。
勝手に当人がどうにかしますし、助けて欲しけりゃ助けてって言うと思いますよ。
こんなことですが学べたことは心底感謝しています。
加害者がやったことはどんな理由であれ社会的には許せないことです。ただ擁護するつもりではありませんが、今はいい人かもしれません。人は自分次第で変われます。
「あん時よりはマシ!!!」
こんな厳しい状況下に置かれなかったら、 IT業界にチャレンジして辛い時、乗り越えられなかったと思います。
ダブルで感謝!
さいごに
プログラミングの勉強をして挫折しそうな人、人間関係に悩み苦しんでいる人、やりがい搾取で疲弊している人。
すべて私にとって他人事ではないんです。その状況は過去の私でもあるので、当時の同じ気持ちの人の助けになればと思い私の経験と経験から学んだことをシェアさせていただきました。
なんども言いますが人生は変えられます。
変えられないとしたら「変えられないと思ってる自分」がいるだけ。
ちなみに、私にとっての最高の幸せは一緒に過ごしてくれた人が「楽しかった!かみーゆさんと出会って良かった」と記憶に残してくれることです。
人生は選択の連続。しかも、後悔のない人生はきっとないでしょう。
だから真剣に考えて行動しないといけ ないんです。
明日死んでも後悔してたまるか、ってぐらいの覚悟で取捨選択すると腹も据わります。
みなさんのこの先の将来が明るくなることを祈っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。

神守 由理子/フロントエンドエンジニア