突然ですがみなさん、父親のイメージって怖いですか?優しいですか?
私の父は典型的な 昭和のお父さん でした。
頑固、自分勝手、理不尽、お父さんは正義。昭和の父親ってそんなイメージありませんか?
今となっては珍しい昭和のお父さんですが、昭和後半にはまだたくさんの昭和のお父さんがいました。
そこで今日は昭和の父の特権 5 つと昭和のお父さんを作り上げた歴史的背 景、日本の文化を考察しようと思います。
かみーゆ/フロントエンドエンジニア
昭和の家族は父を中心に回っている?昭和のお父さんの特権 5 つ
昭和の時代はお父さんが一番偉い!
昭和では上記のような家庭内カーストが存在しました。
わしゃーおとうさんじゃ!お父さんは何をしてもえーんじゃ!!
うちの父を例に、昭和の父の謎の特権についてご紹介します。
一番風呂は父親の特権
一番風呂とは沸かしたてのお風呂に一番最初に入ること。
日本人はこの一番風呂に神聖さや優越を感じます。言わずもがな、一番風呂は家庭カーストナンバー 1 父親の特権でした。
父親が先にお風呂に入りおわるまでまで、どんなにお風呂に入りたくてもみんな待っていました。
現在では「一番風呂は体に悪い」みたいですけどね。
誰が苦しんでいようと、長時間トイレを占拠
うちの父親は、トイレに入って新聞を読む習 慣がありました。
しかも長い。
子供の頃、父親がトイレから出てきてくれないとき、小のときは仕方なく庭やお風呂でしていました。
大を我慢している時は地獄。トイレの前でのたうち回ってました。
それでもお構いなしで家庭カーストナンバー 1 の父はトイレで新聞を読了することを優先。苦しすぎて早く出るように懇願すると、逆ギレすることもありました。
ぐぉぉ、死ぬ!死ぬる!!早く出て!
ああ!!もう!!
トイレぐらいゆっくり入らせろ!!!
もう十分ゆっくりいたやろ。。。
お父さんは正義。何をしても許される
幼少期、私は玉ねぎを食べることができませんでした。
母親に注意された私は父親の皿に目をやりました。
父が玉ねぎを皿の隅っこにまとめて残しているのを発見しました。
お父さんは玉ねぎ食べてないのになんで私は食べなきゃいけないの?
すると父親は。。。
お父さんはいーの!
ファッ!!!?(心の声)
自分はお金も稼いで家族を養っているから許されるという 全く道理の通らない言い訳 です。
必殺のセリフ「 お父さんはいーの! 」を父は連発します。
テレビのチャンネル主導権は常に父にあり
昔はテレビなんて一家庭に 1、2 台しかありませんでした。
リビングのテレビチャンネルはいつも父の趣味。
我が家は家族全員揃って、テレビを見ながら夕飯を食べる習慣がありました。
ご飯を食べ終わるまで、つまらない NHK ニュースや水戸黄門を見なければならないことも多かったです。
たまに見たい番組を懇願すると、
お父さん、たまにはドリフが見たい!
あいつらは生卵を投げる。
わしゃ食べ物を粗末をするやつはきらいじゃけダメじゃ!
という感じで見せてもらえませんでした。
基本、家事・子育てには参加しない
かーさん、お茶ー
かーさん、おかわりー!!
昭和のお父さんは座ったまま、こんなしょうもないことを嫁に指図します。なぜならば「 一家を支える大黒柱 」だから。
そして食べ終わった食器も自分で下げることはありませんでした。
令和、平成のお父さんは子育てに参加してオムツ替えしたりしないと、嫁だけでなくフェミニスト団体などからも叩かれるので想像もできないでしょう。
母が入院した時、慣れない家事を僅かな期間やっていたことがあると聞きました。でも母が戻ったらすぐ元通り。ふんぞり返るようになりました。
「昭和のお父さん」を作り上げた時代と日本の文化
「昭和のお父さん」が如何に家では自分勝手だったかをおわかりいただけたと思います。
こんな威厳たっぷりの昭和のお父さんが生まれたのは時代的背景が強いと私は考察します。
高度経済成長期の親父(オヤジ)達は日本経済を支える高いプライドと自負があった
第一次ベビーブームに生まれた団塊の世代。父もその中のひとりで、終戦 5 年後に生まれ復興の最中育ちました。
父の幼少期、ちょうど朝鮮戦争(1950 年〜)が勃発し、日本では朝鮮特需(補給物資の支援、戦車や戦闘機の修理請負などの特需)が経済復興の追い風となりました。その後、オリンピック開催など立て続けに好景気が続きました。
団塊の世代の若い労働者は 金の卵 と言われるようになりました。
戦後ボロボロの日本を高度経済成長させた団塊の世代は自信に満ち溢れていました。
特にお父さんたちは日本の経済を支える労働力の象徴でした。
仏教・儒教の教えが色濃く残る時代
日本は千年以上前に中国古来の仏教や儒教などの教えが伝来・浸透し、父系社会です。
女性は男性と歩くときは 10 歩下がって歩くのが美徳だった時代もあるほど、日本では男女格差が大きいです。
現在も格差は存在しますが、昭和はより色濃かったです。
戦後に生まれた人たちはまだまだ父親が一番偉く、長男が一番大切にされる環境で育ちます。
昭和の家庭では父親を頂点とした、次に長男、その他の男の子ども、母親と娘の順番のピラミッドができたのです。
なぜ、昭和のお父さんはいなくなったのか
昭和のお父さんは理不尽で暴君でしたが、頼もしい存在でした。身を粉にして働いて家族の生活を支えました。
しかしながら平成・令和のお父さんは昭和のお父さんほど威厳を保つことができません。
その理由はなぜでしょうか?
大きな理由の 1 つは